久保板観 死因は脳出血! 映画看板師の作品がレトロで懐かしすぎる… 絵師から看板師に転身した過去とは!?

芸能系

映画看板師の久保板観(くぼばんかん)さんが脳出血が死因でお亡くなりになったと報じられましたね。
レトロな作品が多い久保さんの看板師としての仕事を4000枚以上の中から少しだけご紹介します。
もともと絵師だった久保さんが看板師に転職した裏話も見つけてきたのでご紹介しますね!

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久保板観のプロフィール

映画看板師として知られる久保板観さんがお亡くなりになったと各メディアが伝えていますね。
レトロな作風で知られている久保さん。
きっとどれかは見たことがある作品があるかもしれませんね。

ということで、まずは久保板観さんのプロフィールなどをご紹介していきます。


引用元:newStory

氏名:久保板観(くぼ ばんかん)
本名:久保昇(くぼ のぼる)
生年月日:不明
年齢:77歳(2018年2月没)
出身:東京都青梅市
職業:映画看板師(最後の看板師として知られている)
主な手がけた映画:『ティファニーで朝食を』『きみの名は』『風と共に去りぬ』など

以上が簡単な久保板観さんのプロフィールになります!

手がけた映画がどれも有名すぎてびっくりしますよね!
その作品はどれも素晴らしいモノばかりなので、この記事の後半で時間が許す限りご紹介させていただきます!

それにしてもまだ77歳ですよ。
今の男性の平均寿命からしたら平均的なのかもしれませんが、ちょっと早すぎる死ではないでしょうか。

あまり死因について報じられているメディアはないのですが、何とか見つけてきたので死因などについてご紹介します。

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死因は脳出血…。最期はどこで看取られたのか…。

お亡くなりになった事ばかり報じられていますが、死因についてはこちらの通りです。

最後の映画看板師ともいわれ、「板観ばんかんさん」の愛称で親しまれた久保板観さん(本名・久保昇)が4日夕、脳出血のため亡くなった。
引用元:YOMIURI ONLINE

どうやら脳出血でお亡くなりになった様です。
もともと高血圧などの既往歴があったのでしょうか。

生前の病気についてはぜんぜん語られていなかったので本人はピンピンしていたのかもしれませんね。
いつ血管が破裂するかは誰も分からないですから、もしかしたら誰も予期しなかった死かもしれません。

誰に看取られたのか、それとも完全に急死だったので看取られずにおひとりで旅立ったのか。
気になりますがまだ明かされていない様です。

こちらは判明次第更新致しますね。

どうか、ひとりではなくて誰かに看取られていて欲しいと願ってしまいます。

久保板観の映画看板師としてのレトロ作品をご紹介!

ということでどんな作品を世に届けていたのか気になると思いますのでいろいろと調べてきました!
どれもレトロな雰囲気がそそります!


引用元:西和商事株式会社


引用元:フォートラベル


引用元:ブロンプトンで遠足


引用元:ブロンプトンで遠足


引用元:みどりのアート鑑賞日記


引用元:写真で綴る気ままな・・・シニアライフ


引用元:Impress


引用元:西和商事株式会社


引用元:newStory

まだまだ紹介したいのですがこれらが久保板観さんが手がけた映画看板たちです!!
どれもこれもレトロな雰囲気にアレンジされていて良い雰囲気を醸し出してますよね。

ちょっと実物を見に行きたくなりました!
ということで実物を見れる場所を探してきました!!

それがこちらです!

昭和レトロ商品博物館

東京都青梅市住江町65

JR青梅駅から徒歩で4分の場所にある昭和レトロ商品博物館という場所に『久保板観展』があるようです!!
入館料は大人350円、子供200円ととてもリーズナブル!!

昭和30~40年頃の生活がそのまま飾られている様で、懐かしい思い出に浸ることができそうです!!

絵師から看板師に転職した過去も。

最後の看板師として知られている久保板観さんですが、どうやら最初は絵師からスタートしていた様なんです!
久保板観さんのインタビュー記事を見つけたのでご紹介します!

ーー映画看板を描き始めたきっかけは何でしょうか?

中学1年生の時に青梅大映(注:現在は閉館している青梅の映画館)から150mくらいの距離に住んでいて、映画館の周りを歩くのが好きだったんです。映画を観られるお金はないから、外に貼ってあるスチール写真や手書きの映画看板を見ていました。毎日その看板をみているうちに絵に魅力を感じるようになって、自分でも描いてみたくなったんです。

引用元:newStory

映画館は高額だったので入れなかったけど、映画看板を見て楽しんでいた久保さん。
だんだんとその魅力にとりつかれて自分でも描くようになっていったんですね!

やはり子供は純粋です!
何でもできる可能性がありそれを実行に移すだけのエネルギーがあるんですね。

中学卒業後、独学で絵師の世界に。最盛期の昭和30年代には「寝る間を惜しんで1日1枚のペースで描いていた」という。映画の斜陽化で市内の映画館が相次いで閉館すると、店の看板などに転業。1990年代以降、イベントで描いた映画看板が話題となり、街おこしで看板づくりに取り組んできた。

引用元:毎日新聞

最初は絵師として活躍していた久保さんですが、映画産業が最盛期を迎えると同時に映画看板師として転身されていったんですね!
それにしても、先ほど紹介したような作品を1日に1枚仕上げるってとんでもない神業ですね…!!

どれだけ看板を描くことに没頭し愛していたのでしょうか。
このエピソードを聞くだけでいろいろと胸が熱くなりますね。

そして映画看板に掛ける想いがこちらです。

ーーこれまで描いた看板の中で印象に残っている看板はありますか?

初めて見た映画看板が大河内傳次郎(おおこうちでんじろう)の丹下左膳(たんげさぜん)で、それがかっこよくて看板を描こうと思ったんです。だからその看板を描いている時がいちばん楽しかったですね。(注:『丹下左膳』は林不忘の新聞連載小説を原作とした時代劇映画。)
引用元:newStory

『丹下左膳』の時の看板はこちらになります。

引用元:ウーマンエキサイト

めちゃくちゃカッコイイですね…!!
久保板観さんがお亡くなりになる前に知っていたかったです。。。

まとめ

いろいろと久保板観さんについてまとめてきました。
最後の映画看板師、本当に惜しい人を亡くしました。

今まで久保さんの看板を見てどれだけの人が心打たれて映画館に足繁く通ったことでしょうか。

天国でも自分の好きな看板を描いてみなさんを楽しませてくれていることでしょう。
ご冥福をお祈り致します。

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コメント

  1. 松崎徹 より:

    久保昇 ばんかんさんの葬儀は身内で行われたようですが 青梅市での市役所に市民葬お願いしてもらえませんか あまりにもかわいそう それだけです